The Game Must Go On

自分自身の話を言葉で直接表現するのは私の好きなスタイルではないのだけれど。

「また漫画の続きが描けて嬉しかった」とか「紙の本を印刷したやつが届いて嬉しかった」とか、そういうことの延長として、これも書き留めておくことにするよ。

これまで創作活動を続けてきた中で「今はそんなことをしている場合じゃない」「もう、あかんかもしれん…」「あのときはヤバかった」みたいな時期が何度かありました。

この記事は近々それがまた来るかもしれない、というお知らせを兼ねた日記です。

過去の「あかん」が来た周期を考えるとそろそろだなあと思っていたし、最近創作活動に関して上手く事が運びすぎていたからそろそろコケる時期だろう、と身構えていたので今のところ今までよりも冷静です。だから安心してほしい(?)。

今朝なんとなく実家に電話したら、私が世界一尊敬する人物である父に「簡易検査で脳腫瘍が見つかった」という話を打ち明けられました。

まだ精密検査をしてみないと詳しい状況は分からないし、今は本当に全然何とも言えないですが、電話を切ってからじわじわ動揺してました。
どのくらい動揺したかっていうと、その後ゴミ捨てに出たときにたまたま外に出ていた近所の人(過去数回しか会話したことない)に挨拶して泣き出すくらいには動揺してた。

べつに父がすぐ死ぬことが確定したわけじゃないんですけど、人間は生きてたら確実に死ぬじゃないですか。

「別れることに向き合う」ことに向き合うときがついに来たなあと思うと、ちゃんと上手くできるか不安も募るし「でも多くの人が普通に(普通に?)経験することだしな」とぐるぐる考えていて、また泣いて泣きながら考えて、今は頭が痛いしお腹が減っています。

私の中での最上級の誉め言葉は『強い』です。

この「強いかどうか」の基準は、幼い頃から見てきた父の姿が大いに影響しています。イメージとしては『ヒーロー』のような「強さ」です。私は「ヒーローとは何か」を語らせるとやたら長いオタクなのでそれも的確な表現ではないですけど。

強かった父が弱っていくことに対しては人間の一生として自然なことなのでそれはいいです。
でも「最悪」を想定して考えたときに「壊れていく」父を目の当たりにした場合、私は耐えられるのか?という不安があります。脳腫瘍で人格が変わることもあり得るので。

電話の向こうで父が「後悔のないように(できることは全て)していこうと思う」と話していたので、その足を引っ張らないように娘としてできることは全てしていくつもりです。

ではそれって具体的に何なのか?「上手くできる」、「失敗しない」、「ちゃんとやる」とは何なのか?
これから暫くはそれを考えることに気を取られるから、『リアルインベーダーゲーム』を描くのが疎かになりますよというお知らせでした。

これだけ構えて「あのときは深刻に構えすぎだった」と笑える日が来るかもだけど、まあそれはそのときで。

あと今回ここで私は自分の父親に対するクソデカ感情を突然語ったわけですが、父はどこにでもいそうな、至って普通のおじいさんです。でもちょっと変わってるとも思う。

今月になって義母の大けが、癌を患っていた従兄の訃報など、今後の自分の着地点の持って行き方=「自分の終わらせ方」について考えさせられる出来事が立て続けに来たので、そら漫画の制作だって停滞するわな…と思いました。

まあ、漫画は手が空いた隙にちょっとでも描こうとはするつもりです。